人生得意須尽歓 莫使金樽空対月
同盟の結成
遥かの昔、1999年7月?日深夜、坊屋春道、ルパン、リベラルデモクラシー三人は偶然に三国志インターネットの4VS4同盟戦に出会った。同盟勝利の美酒を酔ったののち、親しくなった坊屋とリベラルデモクラシーは、お互いの一人チームを吸収し、新しいチームの結成を密議した。翌日、坊屋はすぐに「アジア三国志同盟」という新チームを正式に登録した。ちなみに、チーム名は、坊屋が韓国人とリベラルデモクラシーが台湾人のために由来した。あの夜、坊屋の旧知であり、何も知らないルパンは、両人の陰謀かつ脅迫下、犠牲になって、不承不承同盟に参加してしまった。三人は、桃の成熟の季節にインターネットで血盟を誓った。かくして、この後、世界の隅々に名を轟々とするアジア三国志同盟は結成した。 |
アジア三国志同盟は、リベラルデモクラシー(略リベ)が結義経緯で載せたようにあそこから始まりました。(まじです) 坊屋春道(韓国人)リベ(台湾人)ルパン(日本人)が集まりこのチームの土台になってるが我々3人では力不足の為、在野もしくは他のチームからの勧誘もしくは引き抜きで現在に至る。 今はHNしかわからないが若い衆(10代)や20代が主です。 このチームには初心者から中級者や上級者がいます(官位)。 このチームはみんなが楽しく殺し合い、仲良く教え合うチームである^^。中には会ったことが無い人もいるかもしれないが、HPを毎日欠かさず目を通して会った事が無い人には声を掛け合おう^^ 。 いずれ、チーム最大の勢力になりアジア三国志同盟がただネット上のチームだけでなく世を驚かさんばかりのチームに成る事を望む。 三国志好きな人なら誰しも大小区別無く志があると僕は信じています。今はネット上でしか会えないが、いつか天下乱れる時このネット上でしか会えなかったチームの方々や他のチームが同じ目的で何かを成し遂げる事を私は希望します。(夢物語っと笑うかもしれないがね^^;;) (ルパン 1999.9.1) P.S 誤字又は文法的に間違いがありましたらお許しください、なにぶん無学な僕なので^^;; |
私はアジア三国志同盟に参加し今日に至ることを喜ばしく思う。アジア三国志同盟とは、誰もが、簡単に入って、いつでも抜けれるゲーム上での出会いの場、そしてゲームをより楽しく盛り上げる場。だと私は思います。ただし、最低限のマナーを守れない人は好ましくない。皆さんマナーは守りましょう。 このアジア三国志同盟には、いい奴ばっかいるのだ。^^v そして展望としては、まずアジアの統一!!!!!!! そして仲間たちでワイワイ楽しく戦争だー!!!!!! ゲームの枠をこえ、幅広く楽しくやりたい。なぜならここは幅広い人たちが集まるアジア三国志同盟なのだ!!! (坊屋春道99年10月10日) |
感謝文&宣誓文
1999年7月X日樹立されたアジア三国志同盟は、すでに半年の歴史の道を歩いて来ました。この間、笑いがあり、悲しみがあり、充実感があり、無力感もあり、本当に感無量です。台湾から留学しに来た私にとって、感謝の気持ちが胸に満ちます。異国での孤独感もつねに一掃された。 皆様は、はじめで三国志ネットをやる時の気持ちを覚えてますか?PC三国志Tをやる以来、誰でも自分の三国志能力の強さを一度も疑うことがないでしょう?しかし、ネット初心者はすぐ現実の厳しさを直面するでしょう?あの時(1999年3月)、私は本当に挫折感の味をいっぱい満喫しました。その前、自分こそ三国志が最強という自信もやぶられました。正直に言って、何度も電話回線を抜けたいでした。そのうえ、私は外国人だから、チャットができないし、知り合いもほとんどないし、ネット中になかなか友達を見つかりませんでした。チームというものは、私にとって言うまでもなく無縁なものでした。ついに、いろいろな理由で、4月末、三国志ネットをやめてしまいました。 そして、6月末、ふたたび塵が積もってた三国志ネットをパソコンにインストールして、再出発しました。すぐに、私は、坊屋春道さんとルパンさんと出会いました。運命の遭遇と言っても過言ではありません。台湾人である私が、一気に台湾と関係ある人、しかも二人と知り合えることは、幸運しか思えませんでした。そして、私のネット生活は、アジア三国志同盟の結成によって、いきなりカラーフルになりました。もう一人で戦うことではありませんでした。そして、以来の展開は皆様が知るように、アジア三国志同盟が順調に発展してきました。アジア三国志同盟の同志達、本当にありがとうございます。異国で勉強する私に、暖かい思い出をいっぱい送りました。 感謝したいもう一つのことは、HPの製作です。アジア三国志同盟を成立する前、私は何を隠そうHPの製作がぜんぜんできませんでした。アジア三国志同盟のために、私はHPを作ると言うより、むしろアジア三国志同盟があるため、私はHPを作れると言うほうが正しいと思います。現在のHP技術はまだへたですけど、アジア三国志同盟がなければ、私は絶対未だにホームページの「ホ」さえ分かりません。ありがとうございます。アジア三国志同盟の皆様のお陰で、私はHP技術を磨く場所を有しました。皆様の応援と鞭撻は、いつもいつも私の前進の原動力になります。 今日、アジア三国志同盟は未曾有の危機に瀕してると言えるでしょう?チームというものは、実際に蜃気楼のようなものになりつつあります。つねに、アジア三国志同盟というルームが見えません。ある場合も3、4人しか来ません。もはや、かつて若気があふれるアジア三国志同盟は名実ともに、衰えた老人グラブになりました。その理由は、いっぱいありますでしょう?例えば、三国志飽き、ルパンの不在、たか派とはと派の争い、速攻練習の挫折、接続料金の高さ、公開セッションの愛着、同志の幽霊化などなどです。ここで、私は原因を論じることではありません。私は皆様と一緒にこれからのアジア三国志同盟の未来を考えたいです。なぜなら、別にアジア三国志同盟は強制的なチームではない、事実上強制も出来ないでしょう?ならば、来たい人が来て、抜けたい人が去ることは避けられませんでしょう?これもネットゲームの宿命でしょう。会ったことがない相手に、もともと強制という基礎が存在してません。 すでに前述したように、「アジア三国志同盟」は私にとって、かけがえのないものでした。たとえ真田幸村のように、一人で豊臣家の生存のために戦ったでも、私はアジア三国志同盟で残って、孤軍で戦います。そして、私は「三国志ネットPUK」をチームの転換点にはかります。要するに、あの時にアジア三国志同盟の復興をめざします。皆様、私と一緒に戦いませんか?ちなみに、私は2月18日から3月16日まで台湾に帰国するので、日本に帰る時、また皆様に会いましょう。その時から、良かったら、一緒にアジア三国志同盟を再建しましょう! ありがとう!本当にありがとうございます。いままで、私は幸運です。これからも、いろいろよろしくお願いします。 (リベラルデモクラシー2000年2月17日) |